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Archive for 2月, 2016

裁判官の必要性と独立性

刑事裁判においても民事裁判においては、最終的は判決を下すのは裁判官です。弁護士や検察官がそれぞれ、証拠を提出して議論を交わしますが、最後には裁判官の判断で有罪か無罪かが決定されることになります。執行猶予が付くかどうかということに関しても同様です。民事裁判においては、損害賠償が認められるかどうかということに加えて、その金額の決定も行います。
このように裁判においては、裁判官の決定が非常に重要であるため公正であることと、独立性が求められます。どちらか一方に、有利な判決を下すようなことがあれば、裁判制度そのものに対する信用が揺るぐためです。特に最高裁判所においては、最終的な判断を下す場として、それに相応しくない裁判官を罷免することができる制度が設けられています。国政選挙の際に、15人の最高裁判事の名前が記載された用紙に印を付けることで、罷免するべきとする判事を決定します。これは司法の世界にも民主主義を反映させようという趣旨の元に存在する制度です。
しかし、この制度により罷免された裁判官は現在のところ1人もいません。しかし、公正でない判断を下す判事や権力者からの圧力を受けている判事がいる場合には、国民の判断で罷免することができます。

公平な裁判官

裁判官とは、司法権を行使して裁判を行う官職にある者のことです。日本では最高裁判所と下級裁判所の二つの裁判官に分けられます。区別は特別職の国家公務員とされています。裁判官は公平な裁判を行うために日本国憲法により身分の保証がされています。中立の立場として公平(公正)な裁判を行うために良心に従い独立して職務を行う必要があります。もし、彼らが良心に従わずに裁判をした場合、取り返しのつかないことになってしまうからです。そして、最高裁判所の裁判官は任期がありません。ただし、10年に一度の国民審査を行います。70歳に達したときにその職を退官する形になります。裁判官が職務を罷免(クビ)になるには弾劾裁判所によって裁かれるか、心身が良好ではなく職務を全うできないと判断された場合のみです。給料も普通の職とは違いかなり高額なものとなっています。ただし、ここまで身分が保障されているため、友人を作ってはいけない等の厳しいルールもあります。この職に就くためには弁護士や検事と同じく司法試験に合格する必要があります。司法試験をうけるのにも資格が必要となります。一人前になり裁判を行えるまで4年かかり10年目で判事になることが出来ます。

重要なのは、司法権の独立

国の運営が正しく行われるためには、司法権の独立が欠かせません。司法権の独立とは、2つの意味を指すことがあります。まず一つは、裁判を行う司法府が、どの権力からも独立して行動できるということです。二つめは、裁判官が、どのような権力にも左右されず、自分の良心にのみ従って、判決を決めることをいいます。こうした原則が守られないと、裁判が権力者の有利なように利用されたり、また、事実と異なる判決が言い渡されたりすることになります。だから、司法権の独立とは非常に大切なことなのです。
日本では、裁判は三審制が導入されています。最初の裁判は地方裁判所です。地方裁判所で決着がつかない場合は高等裁判所になります。高等裁判所でも、決着がつかない場合は最高裁判所で争議を行うことになります。こうした三段階の裁判制度を三審制と呼ぶのです。また、日本では、憲法により、法律や行政処分が違憲ではないかということを、裁判所で争議できる権限を裁判所に与えています。だから、裁判所をさして、憲法の番人と呼ぶことがあります。また、最高裁判所は、違憲かどうかを最終的に決める権利を持っています。だから、日本の司法制度のなかで、一番権力を持っているところが、最高裁判所なのです。

司法権が裁判所に帰属するということ

日本国憲法において、司法権は裁判所に帰属しています。日本は三権分立といって、行政権・立法権・司法権をそれぞれ分かれた機関が担い、そしてそれぞれの機関が相互に監視することによって民主社会を達成しようとする制度をとっています。裁判所が司法権を担うことによって、裁判所はあらゆる法律や条例について、憲法の規定に違反していないかどうかを判断します。ここでポイントなのは、立法権を担う国会を構成する国会議員は、選挙で選ばれるため国民の意見が反映されます。また行政権を担う内閣も、議院内閣制や内閣不信任決議などを通して、国民の意見が反映されることになります。こうして、行政権や立法権が行き過ぎた行動をした場合には、民主的なコントロールをすることができるのです。では、司法権の場合はどうでしょうか。裁判官は司法試験に合格すればなれるので、選挙とは無関係です。さらに、不信任決議もありません。しかし、法律の番人の裁判所といえども、行き過ぎた行動をするかもしれません。そこで司法権に民主的なコントロールを及ぼそうとするのが、「最高裁判所国民審査」です。これは裁判官の判断に、国民が支持するか否かを問う制度です。これによって、司法権の行き過ぎを防ごうとしているのです。衆議院選挙の際に、並行して何気無く行われる国民審査ですが、民主的なコントロールを及ぼすことができる唯一の重要な制度です。}PgžxQ

部分社会と司法権の関係

裁判所は国家権力の作用のひとつとしての司法権をつかさどる機関であるといえますが、この裁判所が取り扱う事件というのは、世の中のすべてが対象となるわけではなく、おのずと司法権の性質による一定の制約があります。司法権の対象というのは、基本的には当事者の間の具体的な法律関係や、権利や義務の有無を確認するものであって、しかも法律を適用することによって解決できるものでなければなりません。裏を返せば、これ以外の問題については、裁判所が裁判を行い、判決を下すということにはなじまないということになります。これが一般に司法権の限界とよばれているもので、そのような具体的事例のひとつとして、部分社会にかかわる問題があります。
部分社会というのは、学校や議会、政党などの独立した団体内部のことで、一般の市民秩序とは直接的には関連しないようなものを指しています。こうした団体の内部秩序の維持に関する問題にまで、裁判所のような国家権力がかかわることは、民主主義のあり方としてふさわしくないということから、司法権は及ばないとされているのです。たとえば、議会のなかで品位を汚す行為があった場合に懲罰が行われたり、大学の授業で学力が一定のレベルに達しなかったとして単位認定がされないケースをめぐる争いなどが考えられます。

統治行為論と司法権の関係

国家の行為の中で、高度な政治性を持つ国家統治の基本に関するものについては、仮に法律上の争訟になっても司法審査の対象から除外する、つまり裁判所が判断を下す対象にしないという理論が統治行為論です。
法の支配の徹底を要求する日本国憲法の下では、訴訟がありながら司法権が及ばない対象は、各機関の自律権や自由裁量の範囲にある事柄以外には認めるべきではないという有力な否定説もありますが、多数説は統治行為論を認め、判例でも採用されています。
純粋に統治行為論を採用した判例は、衆議院の解散の合憲性判断を避けた苫米地事件上告審判決のみとされますが、自由裁量論と組み合わせて独自の論理展開で日米の安全保障条約が合憲か違憲かの判断を避けた砂川事件上告審判決や、他にも援用や言及を行った判例が存在します。
肯定する説の主なものとして、まず民主的基盤の弱い機関である裁判所は、民主主義に基づく日本で政治性の高い国家行為を判断するには馴染まないという「内在的制約説」があります。
他に、裁判所が判断を下すことによる政治的混乱を避けるため自制すべきだという「自制説」があり、また両説を併せた折衷説も存在します。
統治行為論を認める場合でも、対象とすべき高度な政治性を有する統治行為の基準は何かなど議論のあるところです。}PgžxQ

行政権と司法権の関係

司法とは具体的な事件を前提に法を適用してこれを解決する作用であると考えられています。そして、行政権と司法権のあり方をめぐっては、第一に司法権の範囲の問題があります。この点、行政事件の裁判を通常裁判所とは別系統の組織である行政裁判所が行なうこともあります。ドイツやフランスなど大陸法系の国でとられてきた制度です。このような制度の沿革・背景には司法府に対する不信や君主などの特権擁護の考え方などがあります。戦前の日本ではドイツの影響のもと行政裁判所が設けられていましたが、戦後はアメリカの影響のもと行政裁判所は廃止され、行政事件も通常裁判所で争われることから、日本の司法の範囲には行政事件の裁判をすることも含まれると考えられます。
行政権と司法権のあり方について第二として、司法権の限界の問題があります。行政が司法の対象となるとしてもそこに限界はないのでしょうか。この点、行政の自律権や自由裁量に属する事柄については、一定の限界があるとされています。閣議手続に関する事柄は自律権の範囲の問題であると考えられます。そのほか、国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は司法審査の対象とされないという、砂川事件判決や苫米地判決にみられる統治行為論があります。その論拠としては、そのような行為は国民に選ばれていない裁判所の審査の内在的制約として司法審査の対象から除かれるという見解と、そのうえに自制の要素を加味して考える見解などがあります。また、このように統治行為論の根拠の一つとして民主制、民主主義を考えるなら、基本的人権が問題となる事件では統治行為論にも限界があるのではないかという議論があります。ミョウガ

立法権と司法権の関係

三権分立の制度により、立法権は国会が担うことになっています。立法とは法律を作ることを意味し、法律は社会の基本的なルールになります。国会は選挙で選ばれた国会議員によって構成されていることから、国会で法律を作ることで民主主義の制度が成り立っています。国民の総意が国会に反映される仕組みになっているためです。
これに対して裁判所は司法権を担っています。犯罪や民事上の争いが生じたときに、国会で作られた法律に当てはめて、判決を出します。この際にも、民意が反映されている法律を適用することになるため、裁判官や検察官は選挙で選ばれるわけではありませんが、国民の意思を汲んだ判決が出ることが多いです。
さらに立法権を担う国会が憲法に違反する疑いのある法律を作ってしまうことも稀にあります。そういった場合には、裁判所が違憲立法審査権を行使することが可能になっています。ただし、法律が成立しただけでは行使できず、具体的な事案により裁判が提起された場合でないと、違憲判決を出すことはできません。選挙で選ばれた国会議員たちの判断を尊重するという意味のもとで、そのような仕組みが採用されています。このようにして抑制と均衡を保っています。フルーツ02

司法権の範囲と概念

司法権の概要とは、具体的な紛争を法律で解決することを目的とした国家の権利のことであり、日本では裁判所が持っています。行政権、立法権と並ぶ三権の一つであり、独立した権限を持っています。行政権や立法権と司法権を同じ機関が持っていれば、行政や立法に関する訴訟では著しく不公平になるため、独立している必要があります。民主主義国家において、この三権が分立していることはとても重要です。
司法権には限界があります。なんでも裁判所で判断できるわけではありません。それが前述の「具体的な紛争を法律で解決する」という一文が表す範囲です。つまり、内容が具体的ではない、そして法律で解決することができないものは、司法権が及びません。訴えても認められないどころか、門前払いになります。
紛争は基本的に当事者同士が解決すべきである、という考えが根本にあります。当事者同士で解決できなければ公平な第三者を入れ、それでも解決できなければ裁判所が判断します。つまり裁判は最後の手段であり、強制力もあるため、公平且つ公正でなければなりません。法律で解決できない紛争に司法が首を突っ込むのは適当ではないため、門前払いとなります。
また治外法権が認められている外交官は裁けないなど、司法権には一定の制限があります。

おさらい:民主主義国家の「三権分立」と「司法権」

日本においては三権分立が採用されており、立法権と行政権と司法権がそれぞれ、別の機関が担当することになっています。立法権は国会に与えられ、行政権は内閣に与えられます。そして、司法権が裁判所に与えられているということは、中学校や高校などの社会科で学んでいます。権力の濫用を防止するため、この三権分立がなされています。
そしてこのうち、裁判所の機能は国会や内閣からの影響をできるだけ少なくしなければなりません。そうしないと、公正な裁判を実施することが難しくなってしまうためです。そして司法権の独立が日本国憲法において明記されています。これにより、裁判官は国会や内閣からの干渉を受けることなく、判決を下すことができる仕組みになっています。これが守られないと、冤罪などが多く発生してしまう危険性があります。また民事裁判においては司法権の独立がかなり大事です。行政事件訴訟などを行う際に、裁判所が一般市民や民間企業と行政機関を公正に扱うことができるようにするためです。
そのため、行政事件訴訟において国や自治体が敗訴したという例も、これまでいくつか見られ、法的な解決を図る際に司法権の独立がきちんと機能していると評価できます。フルーツ01